トルコの東部で発生した地震のニュースを見ながら、トルコで聞いた話を思い出しています。
トルコが親日的・・・という話は多くの方が耳にされたことがあると思います。
その理由のひとつが、1890年にエルルトゥール号という軍艦が横浜港から出向した途中、和歌山県沖で台風に遭い、難破して600人程の乗組員のうち69名が串本町沖合で助けられ、手厚い救護を受けた・・・という出来事が、今もなお(教科書にも乗っているそうです)語り継がれているからなのだそうです。
この時、和歌山県串本町の地元民たちは、台風で自分たちの漁もできず食べるものさえない状況下で、最後に残ったニワトリまでトルコ人たちに食べさせて介護し、浜にあがった遺体を丁寧に葬ったのだそうです。結局、トルコの軍人さんたちは明治天皇の命により軍艦2隻でトルコに送り届けられたのだそうですが、彼らの感謝の気持ちは筆舌に尽くし難く、でも全てを失った彼らには恩返しする術もなく、中には自分の結婚指輪をそっと置いて帰った人もいたのだとか・・・。
そして、この話に同情した「山田寅次郎」という一民間人が、新聞社などの義援金を集めて、それを携えてイスタンブールに上陸し、外務大臣に義援金を手渡し皇帝に拝謁したのが、その約10年後。山田寅次郎はトルコ側の要請でそのままトルコに留まり、日本語を教え、日本とトルコの友好親善に尽くしたのだそうです。そしてこの時の教え子に、トルコの父と言われる”アタチュルク”氏(トルコ共和国初代大統領)がいたことは、今のトルコの人達へ大きな影響を与えているのかもしれません。
時は流れ、イラン・イラク戦争が勃発した1985年3月17日。サダム・フセイン大統領が「今から40時間後に、イラクの上空を飛ぶ飛行機を全て撃ち落とす」ということを宣言した時。。。イランに住んでいた日本人は、慌ててテヘラン空港に向かったのですが、どの飛行機にも乗ることは出来ず、日本政府も距離的な問題もあり素早い対応が出来ず、パニック状態・・・。
そこに一機のトルコ航空の飛行機が日本人を救うことを目的として到着し、200人余りの邦人を乗せて一番近い外国トルコへと飛行機を飛ばしたのだそうです。離陸した飛行機から見えたのは、火の手に包まれたイラクの空港・・・イラク上空の機内はまだ緊張と不安で静まり返っていましたが、トルコとの国境を越えたところでの機長からのアナウンスは「Welcome to Turkey」!。機内には驚喜と涙の入り交じった歓声が沸き起こったのだそうです。
元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏はこの出来事に関して「エルトゥール号の事故に際して、日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生の頃、歴史教科書で学びました。トルコでは子どもたちでさえ、エルトゥール号の事を知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです。」とコメントされたそうです。
ガイドさんの裏話によると、公務でトルコを訪れた小泉首相を案内した通訳のガイドさんの友人が、オフタイムに「どうしてもここに行きたいので、連れて行って欲しい」と小泉さんに頼まれて行った住所は、このイラン・イラク戦争で200人の日本人の命を救ってくれたトルコ航空機長の家だったのだとか・・・。小泉さんは、個人的にトルコへの恩を返しに行ってくれたのですね。
そして、助けられた日本人の乗客の中には、1999年のトルコ大地震の時に多額の義援金を集め、トルコに送った人もいたのだそうです。
個人的に、トルコが親日的って、どれくらいすごいのか・・・というと、
ある観光地で、恥ずかしそうに「聞いてもいいですか?」と英語で話しかけてきた若い3人組のブルカをかぶった女の子たち。。。私が「そうですよ」と答えると「キャー」という嬉しそうな歓声!そして「お願いです、一緒に写真撮ってもらえませんか」との懇願。一瞬戸惑いましたが、彼女たちの屈託のない笑顔と、本当に嬉しそうなリアクションで、すっかり気をよくしてしまって、もちろん快諾。私も自分のカメラで写真を撮ってもらっちゃいました。いろいろな国を廻って、”日本人”というだけで「一緒に写真を撮って下さい」と言われたのは、始めての経験でした。
しかも、私だけじゃなくて、老若男女を問わず多くのお客さんたちも・・・様々な所で、みんな”日本代表”!!すごいんです、”日本人”人気!!!
日本人のやさしさが、これほどクローズアップされて、伝わっている国・・・って、世界広しといえども、そんなにないのではないかな〜と思ってしまいます。
東日本大震災の時にも、いち早く沢山の救助隊が駆け付けてくれたトルコ。
再度の大震災に見舞われた今も、トルコ全国各地から被災地へ驚く程のスピードで救助隊が駆け付けているのだそうです。ひとりでも多くの人の命が救われることを願ってやみません。
今朝のニュースで見た「横浜ジャズフェスティバル」では、岩手の高校生がニューオリンズから送られた新しい楽器を晴れ晴れとした笑顔で演奏していましたが、使われたいた楽器はニューオリンズの人達からの高校生への贈りものだったのだそうです。この橋渡しをしたのが外山夫妻。若かりし頃、ニューオリンズで6年間過ごされ、サッチモ(ルイ・アームストロング)と共演し後継者とまで言われた、外山氏は、1995年にニューオリンズが洪水に見舞われた時、義援金を初め多くの活動をされたのだとか。そして、その恩返しとして、ニューオリンズのミュージシャンたちから送られた新品の楽器たち・・。
人間の善意やポジティブな感情のスパイラルってすごいな・・・と思います。
歳をとればとるほど、いろいろな人に助けられて生きているな・・・と思う今日この頃、私は少しでも恩返しが出来ているのかしら?
目の前で転んでいる人がいたら、反射的に手を差し伸べられているかしら?
・・・そんなことを考えながら、トルコの人達のことを考える今宵でした。
(余談ですが、震災のあったトルコ東部のワン県は”左と右の目の色の猫ちゃんが多くて有名なエリアなのだそうです。観光地でもあるのだとか・・・)
親日家のトルコの人達を想って、猫ちゃんたちを想って、トルコにも義援金を送りたいと想う今宵でもあります。(まずいっ、もうすぐ朝だ!)
震災で亡くなった方々のご冥福を心からお祈り致します。